「BCP作らなきゃいけないんだよね」
介護の職場でこの言葉を聞くと、たいていの人が思い浮かべるのは、あの分厚いファイルです。何十ページもある災害対応マニュアル。作るのも大変、読み返すのはもっと大変。正直、棚にしまったまま——という職場も少なくないと思います。
私も最初はそう思っていました。BCP=立派な書類を1冊仕上げること、だと。
でも、介護未経験で飛び込んだあの初日から現場で9年働いてきて、震災を想定した研修に実際に取り組んでみて、考えが変わりました。BCPは、書類を作って終わりじゃない。むしろ書類は本体じゃないんです。
震度6が「お昼どき」に起きたら
研修で出されたのは、こんな課題でした。
昼食前、利用者さんが食堂に集まっている時間。そこに震度6の地震。エレベーターは2機とも停止、全館停電、電話は固定も携帯もつながらない——。
想像してみてください。目の前で熱い汁物や食器が落ちる。車椅子の方をどう守るか。厨房の火はどうする。停電で暑さもこもる。そして、誰が指示を出すのか。
この「誰が指示を出すのか」で、一瞬固まる。これが一番こわいんです。
「どうするの?」で止まってしまう現場
正直に書きます。私の現場は、何かあると毎回バタバタします。
災害の話に限りません。利用者さんの急変、設備のトラブル、想定していなかった出来事。そのたびに「どうするの?」という声が飛び交って、みんなで顔を見合わせる。決断が出ないまま、時間だけが過ぎていく。
私が一番不安なのは、実はこの瞬間です。人手が足りないことよりも、体力が続かないことよりも、「決める人がいない」ことのほうが、ずっとこわい。
災害のときは、これが何倍にもなって襲ってきます。だから研修を受けていちばん強く思ったのは、「うちは書類を分厚くする前に、ここを直さないといけない」ということでした。
BCPで本当に大事なのは「その日の前」に決めてあること
災害が起きてから「どうしよう」を相談する余裕は、正直ありません。だから勝負は、平常時にどこまで決めてあるか。
私が研修を通して「これが本体だ」と感じたのは、次の3つです。
① 指揮系統を先に決めておく
管理者がいない時間帯もあります。「第1代行者・第2代行者」まで順番を決めておく。誰かが自動的にリーダーになる仕組みがあるだけで、あの”空白の数秒”が消えます。
……と書きながら、うちがいちばんできていないのが、ここです。役職の人はいます。でも、いざという場面でなかなか決断が出ない。だからこそ「その場で誰かが決める」ではなく、「最初から決まっている」形にしておかないといけないんだと思います。決断は、その場の勇気ではなく、事前の約束で肩代わりできるものだから。
② 役割は「人」じゃなく「役」で固定する
「Aさんが安否確認」だと、Aさんが休みの日に崩れます。「そのフロアの職員が安否確認」「厨房担当がガスの元栓」——配置に紐づけておけば、誰が出勤していても回ります。
③ 連絡手段の代替を”全員”が知っている
電話が全滅する前提で、災害用伝言ダイヤル(171)の使い方や集合場所を、紙で見える所に貼っておく。「知っているのが一人だけ」だと、その人が不在で詰みます。
ここも、うちの弱点です。今は連絡がほとんど電話頼り。一人ずつかけて、つながらなくてかけ直して、また留守番電話。平常時ですら毎回すごく効率が悪いんです。平常時にうまくいかない方法が、災害時にうまくいくはずがありません。
我が家の場合は「各自で、自分の命を守る」
ちなみに我が家では、こう話しています。「何かあったら、各自、自分の判断で自分の命を守ってください」と。
冷たく聞こえるかもしれません。でも子どもたちはもう大きいですし、家族全員がそろっている時間のほうが、実際には少ないんです。バラバラの場所にいるときに、誰かの指示を待って動けなくなるくらいなら、それぞれが自分の考えを持っていてほしい。そう願っての言葉です。
でも、介護が必要な家族がいる場合は逆になる
ここまで書いて、大事なことに気づきました。我が家のやり方が通用するのは、家族全員が自分で判断して動けるからです。
ご家族を介護されている方は、まったく逆の状況にいます。目の前にいるのは、自分では判断できない、自分では逃げられない人。「各自で」は成り立ちません。
だから、施設で言う①②③が、そのままご家庭にも必要になります。
- 誰が、その人のところへ向かうのか(近くにいる人が行く、と決めておく)
- その人が動けないときの手段(車椅子の置き場所、玄関の段差、鍵は誰が持っているか)
- 薬とお薬手帳の場所、ケアマネさんや事業所の連絡先を、家族全員が知っているか
「一人だけが知っている」状態は、施設でも家庭でも同じように危ないんです。
書類より、10分の共有
形は違っても、根っこは全部同じだと思っています。「各自で判断していい」と伝えておくのも、「誰が迎えに行くか」を決めておくのも、やっていることはその日が来る前に、一度でも言葉にしておくことです。私自身、「初期のがんです」と言われた日に、健康も安全も当たり前じゃないと思い知りました。備えるなら、何もない今しかないんです。
BCPの本体は、分厚いファイルの中じゃなくて、平常時に交わした「そのとき誰が何をするか」の共有にあります。
作って棚にしまうより、10分でいい。みんなで一度、声に出してみる。それが一番のBCPだと、私は思っています。

